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靑春断章

決めて下さら

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決めて下さら


蚊取り線香の匂いと共に鰻を食すという習慣のある土用である。暦の上では「土用」から「立秋」迄の18日間を「夏の土用」と呼ぶがテレビでも新聞の折込チラシでも連日うなぎ・ウナギと騒がしい。食卓に並べば何処を塒にして来た鰻かは知る由もないが、好き嫌いのランキングから行くと私はそれ程食べたいとは思わない鰻である。

何気なくそんなことを考えていた当店の休日、チラシを見ていた倅の嫁が『お父さん、今夜外食にしましょうか?・・』と話かけて来た。「おいでなすったな・・」と思いながらも誘われゝば快く同道する立場にある爺さんである。余分な説明や訊き直しは不要だ。「土用か?そうだね・・」行き先は鰻屋でも料理屋でもない。云わずと知れた和食を扱うフアミリーレストランなのだが、例年鰻の相場は決して安くはなさそうだ。

 『どれにします?』「皆と同じものを・・」『お父さんが先に決めて下さらないと・・』というので肝吸いなどがセットになった上鰻重を注文したが私には食べ切れないボリュームであった。決して満足感はないが季節の行事、暑気払いの一齣だとすればこれで良しとすべきだろう。

「土用の丑」という言葉は蘭学者の「平賀源内」が知人に頼まれ「土用丑の日」と書いたのが始まりだとされるが、私は太田蜀山人(南畝)が友人である(鰻屋神田川)の窮状を見かねて狂歌を添え宣伝に一役買った・・という説が至極自然で的確だと認識している。

本稿の四月頃だったと記憶するが「珈琲考現学」の中で日本人では初めて珈琲を口にした人・・と紹介したことがあったと思う。役人でありながら柔軟で豊かな発想の持ち主だった彼は物事の核心を突いて、和歌や狂歌作の多くに明治期に流行した「オッぺケペー節」の川上音二郎らにも影響を与えたことだろうと思っている。

大阪育ちの私は幼い頃、淀川や神崎川の河口で父と一緒に投げ釣りを愉しんだ昔がある。忘れられないのはカレイやキスを釣っていた秋、立っている足元の護岸付近に絡むように10cm~15cmほどの鰻の稚魚が、まるでおふくろが編んでいる毛糸の手毬みたいに球形を成して泳いでいたことである。「糸うなぎ」と呼んでいたが、シラスの様な稚魚が2尺以上もの大鰻に成長するのかと思うと不思議でならなかった少年時代であった。

近年、海では鮪やハマチの養殖が可能になったという。鯛も平目も大型水槽で飼育できる時代だとも聞く。ならば鰻だって他国からの輸入に頼らず日本独自の視点で安心で安価な製品を再考すべき時代ではないのだろうか。鰻重で腹を満たし、爪楊枝を咥えながら日本の食文化と「掴みどころの無い鰻」の在り様について頭を捻ってみる大暑の夕暮れ・・夏の土用である。
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